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<108> 蒸留の歴史

フレグランスジャーナル社のアロマトピアに蒸留の記事を書きました。かなりリサーチして、なかなか手に入らない文献も参考にしてまとめたので、良い記事に仕上がったと思います。全文ではありませんが、良いところを抜粋しました。参考にしてくださいね!
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イブン・スィーナの”Cannon de Medicine"より


蒸留の歴史

はじめに

蒸留は古代からの技術であり、純粋な物質を取り出す方法として実践されてきました。精油を抽出するだけでなく、アルコール飲料にも密接に関わり合いがある上に、錬金術から始まる化学の発達にも重要な役割をし、常に文化的背景や歴史が深く関わりました。

蒸留の初期の目的として以下のものがあげられます:

(1) 海水から真水をとる(船員などが飲料水を得るため)

(2) 穀類やフルーツからアルコールを蒸留する(アンブロージア、オー・ド・ヴィーなど)

(3) 固形物を乾燥した状態で蒸留する(松やに、金属など)

(4) 物質から第五元素を取り出す(不老不死の薬、エリクシール、精油など)


蒸留器について

基本的には液体を熱により気化し、その蒸気を集め冷やし凝縮させる器具ですが、様々な名前が付けられました。ククルビット(cucurbit)はフラスコに当たり、原料を入れる耐熱容器で、アランビック(alembic)は蒸気が集まる部分を指します。レトルト(retort)はククルビットとアランビックが一体になったものを指すようです。アパラタス(apparatus)とは、現在の化学実験器具の原型で特定なものを指すのではなく、実験器具全般のことを意味します。これらは古代から存在しましたが、中世の錬金術で盛んに使用され改良が加えられていきました。

中世の錬金術では"賢者の石"を抽出し、これにより尽きることのない生命力と財力に恵まれると考えました。賢者の石を創造する、または取り出す工程は"大いなる作業"と呼ばれ、燃焼(乾いた道)と蒸留(湿った道)という2種類の方法がありました。湿った道の方法は、フラスコに材料を入れて密閉した後にアタノール(athanor)というかまどで数十日間加熱しました。蒸留に際して大切なのが火加減と水の量、そして冷却水ですが、昔は十分に冷やすことが出来なかったため、冷却器を使用する現代と比較すると能率が悪かったようです。


先史時代

蒸留の歴史は紀元前にさかのぼり、最古の蒸留器はパキスタンのタキシラ博物館にある約5000年前のインダス文明のテラコッタ製のものだと言われています。これは沈香木や白檀、ベティバー、パンダナス属の花などから芳香蒸留水を抽出したと考えられています。

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アフリカやインドでは瓢箪と竹でできた蒸留器が昔からあります。インドは特に地方によって様々な形態の蒸留器が見られます。中でもマイソール地方(南インド)のものは最も良質で、蒸留技師は特定のカーストに限られていました。ククルビットは土の中に埋められ、別の穴を横に開けて加熱し、中には様々な発酵した植物原料(米、モラセスなど)の液体を入れて密閉し、上部の器には冷たい水を注ぎ続け、脇に伸びた管から凝縮した液体が出て来る仕組みです。素材は金属か土器でした。
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古代

古代ギリシャでは紀元前4世紀にアリストテレスが"気象論"に水が空気に触れていると次第に量が減り、最後には消失すると説明しています。太陽は水を目に見えない気体にすることを早め、温度が下がると空気から湿気が戻って来て目に見えるようになるため、海からのぼる蒸気は雲や雨、霧、露などの根源だと記述しています。また、蒸留のことを"ワインの蒸発気体に関するプロセスである"とも書いており、すでに蒸留酒の存在が伺われます。"沸騰させる”という言葉は古代ギリシャでは蒸留を表す言葉であり、その時代の自然科学者たちは海水を沸騰させて真水を採取する方法として蒸留を提案しました。


1世紀の博物学者/政治家プリニウスは"博物誌”において、各国のワインを始めとした飲み物について詳細に記述しており、発酵酒から造り出した"水"が酩酊させることに言及しています。プリニウスはスペインの総督をしていたので、貿易で有名なフェニキア人の前の植民地であったスペインにはすでに蒸留酒があり、それを実際に見たのだと思われます。同じ時代に医師/植物学者ディオスコリデスは"蒸留とは辰砂(しんしゃ)から水銀を抽出する方法である"と描写しています。


その後、アフロディシアス(現在のトルコ)の哲学者アレクサンドロスが3世紀ごろに研究をし、蒸留水に関しては知られるようになりました。3〜4世紀のアレクサンドリアの錬金術師ゾーシモスは"神聖なる水について"や"器具と炉に関する論文"などの著書があり、その中には水銀や蒸留器の記述があります。このように錬金術師たちにより研究は続けられ、アレクサンドリア学派の学者たちの中にはヒパティア(液体比重計を考案)やエジプトのマリア(湯煎を考案)などの女性も存在しました。この研究者の中にはキリスト教に改宗することを拒絶したために、全ての著書を焼き払われるというような迫害も受けました。その後、アレクサンドリアはイスラム支配となり、蒸留の技術やアレクサンドリア図書館の知識はアラブ人たちの手に渡ります。


中世

8世紀の自然哲学者/錬金術師ジャービル・イブン・ハイヤーンは貴金属を溶かすアクア・レジーナ(塩酸と硝酸の混合物)を考案したことで有名ですが、アランビックと呼ばれる蒸留装置を考案したとも考えられています。


著書である"黒き地の書(Kitabal-Kimya)"には硫黄・水銀説が説かれ、この本の“al-Kimyaは"アルケミー(錬金術)"または"ケミストリー(化学)"の語源となりました。

9世紀にはアラビアの哲学者/錬金術師アル・キンディがアルコールを初めて蒸留したと言われています。また、医師/哲学者アル・ラジィはイブン・ハイヤーンの生徒であり、著書"秘密の中の秘密の本(Kitab sirr al-Asrar)"にはローズウォーターについて記述していますが、自分1人で見つけ出したのではなく、世代としての成果だと書かれています。イブン・スィーナの本にも蒸留器の説明が見られます。抽出したものは"スピリット"または"魂(nafs)"と呼び、残渣を"物体(Body)"と呼びました。アラビアの化学が発達は、硫黄・水銀説の影響により、蒸留が最良最速で純粋な物質が得られると考えられ、様々な実験が試みられたことが背景となっています。


古代ギリシャ/ローマでの発明をイスラム支配により、それまでの各国の蒸留の知識と実践を無視して、蒸留はアラビア人が初めて発明したと書いた本は真実を語っていないという主張をする文献も何冊か見られます。一般的には"イブン・ハイヤーンが蒸留を発明したというのは真実でない"と書かれています。一方、アロマテラピーのテキストでも頻繁に"蒸留法を考案したのはイブン・スィーナ"との記述がありますが、正しくは"蒸留法の詳細を本に記述した1人がイブン・スィーナ"ということでしょう。最初に発明したのではないことは確かです。

10世紀のビザンティン(東ローマ帝国)の書物には"ロドスタグマ"という精油について記述がありますが、これはローズの葉を蒸留したものです。この頃はすでにアラブ世界ではローズの花精油も蒸留していました。アラビア人やムーア人がスペインに侵入するのと共に、蒸留技術や科学がヨーロッパに伝わりました。12世紀にはコルドバの医師アルブカシスがローズウォーターやワインの蒸留法について、器具を含め詳細に書き残しています。蒸留の技術はスペインからフランスに伝えられ、裕福な家では家庭内での蒸留を行なうようになります。蒸留した"スピリッツ(精)"は薬用として使用されました。

同時期のイタリアでは医師でボローニャ大学教授のタデオ・アルデロッティが分留を考案します。これは原料から蒸留の過程により必要な成分だけを取り出す方法です。14世紀には修道院で蒸留酒の製造が許可され、"アクア・ヴィタエ(生命の水)"と呼ばれます。この頃の修道院は病院の役割もしており、ハーブガーデンでは薬草が栽培され、特別な治癒作用のある蒸留酒の処方に使用し、現在のベネディクティーヌやシャトルーズとして残っています。

フランスではアクア・ヴィタエの商業的な生産も1313年には始まります。イタリアではアクア・ヴィタエを一般向けに1378年に販売を始めています。法的な書類ではイギリスにおいて最初にアクア・ヴィタエをモルトから蒸留したのは1494年となっていますが、実際の蒸留はもっと昔から行なわれていました。"ウィスキー"も語源をたどるとケルト語の“usique-beathaという言葉から来ており、これも同じく"生命の水"という意味です。

15世紀にはドイツの外科医/植物学者/錬金術師ヒエロニムス・ブルンスウィグは蒸留の技術をLiber de Arte Distillandi de Simplicibus(簡単な蒸留技術についての本)と言う題名の本にまとめました。

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この本の特徴は最も初期の印刷本であったということと、植物性と動物性の物質からの蒸留技術や濾過、再留についても書かれている点です。この時代、フランスのプロヴァンス地方では精油の抽出が始まっており、貴族が買い求めて贈り物にしました。

イタリアの学者ジョヴァンニ・デラ・ポルタは1535年頃には凹面鏡を使って、太陽光線を集約させて効率よく太陽蒸留を行ないました。抽出物の純度を高めるために5回蒸留することを勧め、この方法で蒸留した特別なワインから抽出したアルコール飲料は薬としての価値があり、"無限の病に効果がある"と書いています。

フィレンツェのメディチ家がグラースに目を付け、油脂産業と皮革業を発展させて行きます。その後に豊富なオリーブオイルと動物性油脂を使った石鹸工場と化粧品工場がつくられました。それらの製品と革製品に香り付けするために香水産業が発達しました。添加する精油は地元の花やハーブに留まらず、周辺の丘陵地帯やプロヴァンス地方にも及び、ラベンダーを始めとした精油の蒸留が盛んに行なわれるようになります。

スペイン人たちは南アメリカに渡り植民地政策を拡げる際に、ペルー人たちが蒸留器を使っているのを観察し、過去のフェニキア人からの伝播と理解します。さらには日本や他の国々も蒸留器を使用していることを記録しています。これも各民族が蒸留をしていたのではなく、交易と共に蒸留技術が世界に伝わったということです。

17世紀にはアルコールは英語圏で"ブランドワイン"または"ブランディーワイン"と呼ばれ、これが現在のブランディーになります。ブランド(brand)の語源は燃えることや焦がしたことを指し、蒸留に使う火を表しています。日本でも日本酒を蒸留したものを"焼酎"と言いますが、これも"焼く"という字が入っています。フランスでは蒸留酒は"オー・ド・ヴィー(生命の水)"と呼ばれています。

1651年にジョン・フレンチの書いた"蒸留の技術"は英語圏で最初の蒸留についての本でした。"蒸留は四元素の粘液質からスピリチュアルでエッセンシャルなものを抽出する技術である"と書かれており、数々のレシピは植物の蒸留だけでなく、浸出油、チンキ剤、アルコ−ル濃度を高くするための再留などについても記述があります。

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ボイルの法則で有名な物理学者ロバート・ボイルは、錬金術師でもありましたがアルコールに含まれるスピリット(精霊)の存在は否定し、より実質的なアルコールの精留や木から精油を採る方法について記述し、液体比重計の改良品を発明しました。19世紀まではアルコールは粗野に蒸留され、35%のアルコール分と質の悪いフレーバーしかとれず、60%のアルコールにするには再留が必要でした。1817年にはドイツのビール醸造所を持つヨハネス・ピストリウスが近代的な蒸留器をデザインし、85%のアルコールを1回の蒸留で抽出できるようになり、現在では96.8%を1回で抽出できるようになりました。芳香植物の精油や生薬の成分抽出では常に改良が行われ、素材によって経験的な知識による適切な蒸留法を開発して行きます。ここに科学技術の発展が大きく寄与しています。


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by lsajapan | 2017-11-02 23:15 | インスピレーション