<84> 歴史に見る世界の香りの媚薬と効果
もう1月も終わり・・・信じられなほど早いペースで日々が過ぎて行きますね。この分だと春ももうすぐと思いたいところです。私は現在150種類の精油の本を書いています。今回の本はフォーマットデザインなどが先に決まっており、写真も多く入る今までになかったタイプなので、とても楽しみにしています。6月出版なので2月はかなり集中しなくてはなりませんが、頸椎症を再発させないように気をつけて取り組んで行こうと思います。
ちょっと先走り気味ですがバレンタインデーにちなんで、今回は去年「アロマトピア」に寄稿した媚薬の記事を紹介します。リサーチは前々から少しずつしていたので、ネタはいっぱい。ロマンティックなレシピものせてみました。ホロホロ鶏など少し珍しい鳥類は、ナショナル麻布マーケットで売っています。 世界中で愛されてきた媚薬 全ての文化圏にはいつの時代にも“媚薬”や“惚れ薬”の類いは存在し、人々は昔から常にどのようにして愛する人の気持ちを向けることができるかを研究してきました。”Love Portion(媚薬)”と言うと古典の文献では魔法の薬と考えられており、手に入れるのが難しいサイの角、ツバメの舌、ドラゴンの血、ベラドンナやマンドレークなどが材料に入っています。基本的にその時代において貴重でエキゾティックなスパイス類や刺激物、強壮作用のあるものや香り高いもの、甘くカロリーのあるものが多く、珍しいもの(もしくは実際には存在しないものを本物のように見せかけたもの)はより珍重されたようです。また、砂糖やチョコレート、ブラックペッパー、ヴァニラなど現代の生活ではもはや刺激物とは感じられないほど日常的に使用するものも含まれています。古来より媚薬には人々を陶酔させる成分や秘薬的なストーリーがあるだけでなく、香りが重要な役割を担っているようです。 媚薬の概念は様々で、大きく分けると以下のようになります: *ロマンティックな気分にさせるもの *暗示作用を通じて心の抑制を解くもの *心身をリラックスさせるもの *興奮剤、刺激活性剤 *健康増進作用、滋養強壮作用のあるもの *中枢神経を刺激し、性的な強壮作用を持つもの 中国では陰(女性)と陽(男性)が結合すると気(スピリット、エネルギー)が生まれると考えました。宇宙との関係でも同じく陰と陽の均衡が完全にとれれば、宇宙の波動と一体化できるとされています。 Kama Sutraには幸せなカップルになるためのアドバイスが以下のように書かれています。「食べ物や飲み物でお腹いっぱいにしてはいけない。さもないと卒中や関節炎を起こす。男性は強壮作用のある食べ物:芳香植物や肉、卵などを食べると良い。健康で活発な身体は女性を惹き付けるために必須である」 アリストテレスも「自分自身がある程度の体力がなければ、媚薬は役立たない」と記述しています。このように健康という前提の元に媚薬を勧めています。 香りの媚薬的使用 古代エジプト人は香を霊的体験と結びつけ、香の神ネフェルトゥムを香の煙により喚起することができたと言われています。そして古代ギリシャ人は香の使用法をエジプトから学び、祭礼にはフランキンセンスとミルラを使いました。神聖な香であるはずなのに、ディオニュソス神の祭礼では集団催眠的に利用され、陶酔状態をつくりだしました。さらにローマ帝国でのバッカス神の不道徳な祝宴へと発展して行きます。使用されたフランキンセンス、ミルラ、オニカ、ガルバヌム、ナタフ(蘇合香)は樹脂で、植物ステロールが含まれており、生化学的にはヒトのホルモンと酷似しています。これにより媚薬的な働きをします。 タントラ儀式では女性はパチューリを首、アンバーグリスを乳房、ムスクを鼠径部、ジャスミンを手、サフランを指に塗り、男性はサンダルウッドを額、胸、腋下、鼠径部に塗りました。肉体の基底に宿る眠れる蛇(クンダリーニ)を覚醒させ、精神性へと昇華させる神聖な儀式でありながら、快楽的で媚薬的な香りが使われます。ここではヒトまたは動物の分泌物:ステロイドを想起させるもの、またはそのものが多用されています。 インドをはじめとする南アジア地域ではナツメグとメースを宗教儀式や媚薬として使用した歴史があります。少なくとも11世紀から使用されている有名なCNS活性による向精神作用のあるスパイスです。パウダー状にしたナツメグは中程度〜強度の抗精神作用、幻覚を引き起こす作用があります。意識を失う、社交的になる、気分が変化する、喉が渇くなどの反応が出て、ドラッグ類と似た反応だと言われます。精油中のミリスチン3.3~13.5%とエレミチン0.1~4.6%で、MAO(モノアミン酸化酵素)を抑制することにより幸福感を説明できるのではないかとされています。ミリスチンは神経伝達物質であるセロトニンをラットの脳の中で増加させるので向精神作用があるのではないかという報告もあります。 クレオパトラは全身にジャスミンとサンダルウッド、またはフランキンセンスとローズを使用して政治的交渉をしたと言われています。その船の紫色の帆はローズウォーターに浸されました。シナモン、ジュニパー、フランキンセンス、ミルラ、サイプレスなどをブレンドした香料キフィがたくさん積まれ、この香りで「風まで恋に落ちた」と博物学者のプルタルコスが記述しました。古代の文献を紐解くとギリシャ、ローマ、中近東の女性は樹脂を使用することが多く、それが女性に似つかわしいとの記述も見られます。但し、使用でできる人々は限られており、階級によって使用する香りも違いました。階級や職業が違うと匂いの違いが激しいので、できるだけ同じ階級の中で社交をしたという報告もあります。 マルグリット・モーリーは「生命と若さの秘密」に以下のように記述しています。「魂が神秘に近づく時、薫香は常にあります。世界中の寺院や教会は薫香やローズの香りに満ちています。・・・・恋に落ちた人々は香りに力を借ります。匂いのない媚薬はありません。旧約聖書のエステル記の主人公、エステルは香油につかり、クレオパトラの髪はミルラの香りがしたそうです」 17世紀の医師ニコラス・カルペパーは「マデラワインにジンジャー、シナモン、ルバーブ、ヴァニラを入れると媚薬的効果がある飲み物になる」とCulpeper’s Complete Herbalに書いています。甘い食前酒のような感じですが、ジンジャーはセロトニン受容体に働きかけることにより、副交感神経を優勢にします。シナモンは加温作用、中枢神経の興奮を鎮静する作用があります。 一方、南の島々ではココナッツの甘い香りと熱帯の花々が媚薬として有名です。特に画家ゴーギャンをタヒチから離さなかったのは、モノイオイルだったとも言われています。モノイとは“芳香”という意味ですが、ココナッツオイルにティアレ(タヒチアン・ガーデニア、Gardenia tahitensis)という白い花を入れて浸出したオイルです。他の材料も加えることもあり、家々によって独自のレシピがあります。皮膚と髪を柔らかくし、甘く安心感のある優しい香りがします。女性たちのモノイオイルの香りはゴーギャンの絵から漂って来そうです。源流をたどるとタヒチにはマオリ人たちが約2000年前に移住して来て、儀式用に使用したものと言われています。ここでも媚薬と宗教儀式のオーバーラップが見られます。 また、ミクロネシアの小島ナウルでは、女性たちが良い香りの花とココナッツミルクをブレンドしたものを擦り込み、芳香植物をブレンドした生薬を飲むと何日も身体の内側から良い香りを放ち「男たちが山のように寄って来る」といいました。トロブリアンド諸島(パプアニューギニア)では、ミントとココナッツオイルを煮詰めたものを眠っている意中の女性の胸に呪文を唱えながら数滴たらすと、自分のことを深く愛してくれるという媚薬の言い伝えがあります。 アラブ首長国連邦の女性は身体にはサンダルウッド、沈香、サフラン、ローズ、ムスクなどをつけ、髪にはアンバーグリス、ジャスミンなど、耳にはシヴェット、ローズ、サフランなどを混ぜたムカマリヤという赤い香油をつけます。夫と極親しい家族以外の男性がいる場に香油をつけて出るのは不倫と見なされます。男性は沈香、ローズ、サンダルウッドなどを耳の後ろ、手の平、ひげ、鼻孔につけます。イスラム世界ではアルコールは飲用が禁じられているだけでなく、皮膚にも使用できないので、香油の使用が原則です。ドバイでは白装束の男性の近くを通りかかるとほぼ例外なく沈香の深い香りがしました。香水店で売られている商品も圧倒的に沈香ベースのものが多く、暑く乾燥した土地ではとても心地よい魅力的な香り立ちとなっていました。 香りの情動に与える影響 オーストリアの調香師のパウル・イェリネクは以下のようにカテゴライズしています。植物性と動物性が含まれていますが、アンブレットシードやコスタスルート、ラブダナムなどは動物性香料の代用品として使用されている植物性香料です。 催淫:アンブレットシード、コスタスルート、シヴェット、カストリューム 官能的:チュベローズ、ジャスミン、バルサムトゥルー、ラブダナム、ベンゾイン、オレンジフラワー 陶酔させる:ローズ、バルサムペルー、ベンゾイン、イランイラン、マグノリア、ネロリ、カシア さらにイェリネクはプロフェッショナルの香気判定士たちに樹脂と体臭について判定してもらい、やや酸味のある香りのミルラは金髪の人の体臭、甘い香りのフランキンセンスが黒髪の人の体臭、髪の匂いはオニカ、皮膚の匂いはナタフが似ているという結果になりました。この樹脂とフローラル系のオーデコロンをブレンドすることにより催淫性の強い香りができあがりました。これは体臭的な匂いと心地よい香りが結びつくことで媚薬的な効果を生み出すと言う例です。 マルグリット・モーリーは各個人の精神状態に影響する香りをブレンドすることを研究し続けました。適切な香りを使用すると知覚能力は明瞭となり。心地よい気分になれると記述しています。嗅覚神経は12の方向に分岐しており、梨状皮質では香りを知覚し、海馬と扁桃体では記憶との照合と情動への直接的な影響を与えることにより、香りが適切であった場合は媚薬的にも働くことになります。理論は介在せず本能的に反応します。香りが閾値に達していなければ本人も気づかないで影響を受けることになります。 このように香りの媚薬的な効果は、意識下で私たちに影響を与える可能性もあり、マインドコントロールや魔法にかけられるという言葉が似つかわしいサブリミナル効果、そして不思議な雰囲気に満ちています。 香りの媚薬の材料 媚薬は麻薬的成分や毒性成分を致死量に行かないくらいの微妙なレベルで使用するものが多く見られました。これらを少量使用することにより薬用として使用できるものも多くあります。ここでは危険なものは避けて、香りの良い媚薬の材料を集めてみました。 <植物性> 高麗ニンジン、ジンジャー、ブラックペッパー、オールスパイス、サフラン、シナモン、コリアンダー、クローブ、ナツメグ、トウガラシ、フランキンセンス、ヤドリギ、ロータス、ローズ、ジャスミン、ワイルド・オーキッド(Orchis mascula)、ヴァニラ、クラリーセージ、バジル、タイム、ローズマリー、セイボリー、オレガノ、ザクロ、イチヂク、アプリコット、マンゴー、バナナ、クルミ、アスパラガス、トリュフ、オニオン、黒糖、チョコレート、コーヒー <動物性> ムスク、アンバーグリス、シヴェット、カストリューム、蜂蜜、牡蛎、ホロホロ鶏(ギニアヘン)、羊、鳩、鶏卵、ウズラの卵、キャビア、鰻 芳香の媚薬的効果のあるレシピ <18世紀のポルトガルの媚薬:エンジェルウォーター> オレンジフラワーウォーター600ml、ローズウォーター600ml、マートルウォーター300ml、ムスクアルコール400ml、アンバーグリス400ml これを現代版にすると: ネロリ精油、ローズ精油,マートル精油 各2滴、アンジェリカシード精油、ラブダナム精油 各1滴をスピリタスウォッカ100mlに混ぜて一晩置き、1リットルの精製水に混ぜる 肌水やスプラッシュのように使用する。アンジェリカシード精油には光感作があるので注意。 <媚薬デザート:バナナ・フランベ> バナナ2本、バター50g、ブランデー60ml、オレンジジュース60ml、ブラウンシュガー20g、ナツメグ1滴、ネロリ1滴、バニラエッセンス1滴 <媚薬飲料:ローマンウォーター> ザクロ2つ、ローズウォーター5ml、冷水300ml、レモン汁1/2個分、蜂蜜 おしまいに 今回の記事を書き進めるにつれて、宗教儀式に使用されるものと媚薬として使用されるものがオーバーラップするという意外な事実に気がつきました。でもよく考えてみると、非日常的な感覚と陶酔に満ちた経験は究極の幸福感を導くものとして結局は似たものなのかもしれません。香りの反応は社会的、民族的、時代的な背景が強く影響するとは言え、甘く深いうっとり陶酔する香りはいつの時代も人々の心を惹き付けて来たと言えるでしょう。
by lsajapan
| 2016-01-28 23:44
| インスピレーション
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LSA (ロンドン・スクール・オブ・アロマテラピー・ジャパン) の校長バーグ文子が学校の紹介、アロマテラピーや自然療法、現在住んでいるカリフォルニア州ソノマ郡での話や役に立つ情報などについて気ままに語ります。ウェブサイトはwww.lsajapan.com by lsajapan カテゴリ
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